ヒルビリーエレジー 感想
2024年11月の大統領選挙で政権奪還を目指す共和党候補、ドナルド・トランプ氏が7月に副大統領候補として指名したのは、オハイオ州選出の上院議員J・Dバンス氏であった。
彼は2016年に出版した自叙伝「ヒルビリーエレジー」で一躍有名となったイェール大学卒の弁護士である。
アパラチア山脈周辺部のラストベルト地帯で生まれ、薬物依存症の母の元で祖父母の支援を受けながら育ち、一族はおろかそのエリアからほぼ唯一のアイビーリーグ出身者となった彼の来し方は、トランプ氏が大方の予想を裏切り当選した原動力となった「忘れられた白人達」を知るためのバイブルであるかのようにアメリカの知識層において扱われ、同書は映画にもなっていた。
副大統領候補の指名をきっかけに遅まきながら電子書籍でこの本を読んだのだが、当初の予想に反し、西海岸エリートへの憎悪や人種差別的な内容は全く無く、米中西部で鉄鋼企業の撤退後に苦しみながらも育ち、そこから抜け出すことができた個人的な体験を余すところなく記述する。
その内容は母や継父達に代わって自らを育て上げてくれた祖母と姉への深い感謝に満ちており、特に祖母の気質がヒルビリーと呼ばれ名誉を重んじる中西部白人の生き証人として描写される。
12歳にして牛泥棒を撃ち殺しかける祖母の気性の激しさは、初手から鮮烈な印象を読者に与えるものである。
いじめっ子を制裁したことを誉めるなど彼女の教育は著者にヒルビリーとしての生き様を示すようなものであった。
余談だが、中学2年時に狂った同級生に付け回された時に回し蹴りで救ってくれた同級生がいたことをこのエピソードを読んだ折に思い出したが、彼も心根にヒルビリーの血が流れていたのだろう。
著者の母親が路傍の街路灯に車ごと突っ込んで自殺未遂をした時に「本当に死にたければ銃を使うはず」と言い放つバッサリ感もエピソードとしては強烈だが、この親にしてこの子あり、というような育ち方をしなかったのも、本人も書いているが高校やオハイオ州立大で出会った周囲の人々のお陰でもあるという。
そんなヒルビリーエレジー、主に著者の幼少期から成長過程が描かれ、父親がころころ変わる家庭環境、薬物乱用に墜ちる母親、そこからの逃避先としての祖父母や姉の存在の大きさという流れから、アルバイトや高校生活で社会に触れて、薬物乱用に走らずアイビーリーグ進学を果たすという古き良きアメリカンドリームという趣のある筋書きの自叙伝である。
これがなかなかどうしてトランプ当選の原因を探るべくヤッピー達がこぞって読むようになったのかは、日本人の私には良く分からない部分でもあった。
この本は「貧困層に生まれた少年の成功譚」とも「栄枯盛衰の田舎町の現状を活写したドキュメント」とも「中西部白人の保守性の淵源を示す物語」とも読めるが、自分がこの本に見出したのは普遍性であった。
例えば著者が高校に進学し、近所のスーパーでアルバイトを始めたところ、著者と同じような貧困線以下の生活者がカツカツの買い物をしている傍らで、フードスタンプ受給者や薬物依存者が酒や肉を買い込んでいく様を目の当たりにする。
これを彼の祖母は、納税者の働き者が食い詰めて、政府の金(原資は税金だ)で生きている連中がのうのうとしている、と呪詛を吐くのだが、こうした生活保護受給者への風当たりの強さは本邦でもよく見られるものである。
また著者がイェール大に進学し、大手法律事務所の面接を兼ねた食事会でディナーのマナーを知らないことから右往左往する場面があるが、本邦でもマナーを知らない人間をあまりよくない表現だが「お里が知れる」とあげつらうことはやや見受けられることである。
貴族階級の名残だろうか、上流階級が新参者を入れないために見えない参入障壁を築くのである。この辺りは近時「文化資本」論争など主にネット上で議論がかまびすしいところである。
個人的には、そんな資本が明文化されるように存在するものであるのか疑問があるのだが、それはこの本で著者がイェールの同級生たちの物の見方が全く異なる(外科医とエンジニアの家庭は『中流』と評されるなど)と驚きを込めて描写することや、上流階級(富裕層ともいう)には見えないネットワークが存在することを描写していることから、生まれや教育で身に着けた物がありそれが結果的に資産などの差に繋がっているという事実は洋の東西を問わず否定はできないのだろうと思われる。
西洋では貴族というかギルドという表現でも当てはまるように思える。
この普遍性という部分は、著者が貧困問題は黒人だけの問題ではないことに気づく点にも表れていると思われる。
著者が16歳で初めて読んだ「アメリカのアンダークラス―本当に不利な立場に置かれた人々」(明石書店、1999)は、都市中心部の黒人の事を取り上げている。
著者によれば教育レベルが高いか、裕福か、人間関係に恵まれている人はコミュニティを移動することが出来るが、貧しい人はコミュニティに取り残されるのだという。
アパラチア山脈のヒルビリー達は、自分達が工業衰退後の貧困地域に生まれたとしても、そこを去ることが出来ないのである。
この事実から、この本を読んだときに著者は、黒人問題ではなくヒルビリーのことを書いたのだと感じ取ったという。
アメリカは福祉制度が脆弱であるがゆえ親族に頼るほかなく、生まれた場所を去ることが難しいという議論があるそうだが、才覚や財のある者は生まれ故郷を離れられるが、そうでない者は故郷に縛られるというのは本邦でもよく見る地方都市問題である。
もっとも生活保護制度が国の財政措置と法制度で制度上は格差なく運用されていることから、本邦は都市部への貧困層の流入も起こりやすい風土ではあるのだが。
この本を読み終えたときには、アパラチア山脈の麓で貧困に生まれた少年が祖父母や姉の支え、高校で出会った人の良い影響で州立大に進学し、海兵隊を経てアイビーリーグで弁護士になるという本願成就に目頭が熱くなり、自分も何か努力しなければという思いを抱くほど人生に影響を与える一冊だと感じ入ったものである。
それゆえ本書からは、J・Dバンス氏がトランプ氏に指名を受け民主系リベラリストから差別主義者と糾弾されるような人間に思えないのである。
2016年ごろに日経に載ったインタビューとは風貌がかなり変わっているので、貧困問題を解消するべく合衆国の最高権力を目指す覚悟が生じ、副大統領候補指名を勝ち得る過程で人となりが共和党トランプ支持者周辺から影響を受けてしまったのだろうか。
今年の11月には、結果によってはその変貌を目の当たりにすることとなるが、結果の如何においては文庫版を購入し、自分が還暦を迎えるころに読み返して米国貧困問題の解消がされているかの答え合わせをしてみることとしよう。
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